最近大学の人と会うと、すぐに「就活どう?」という話題に行きつく。
そして「あんまり…」「どうしよう」「なにになりたいのか分からない」
と将来へ対する不安をポロポロとこぼし始め、
挙句の果てに出る、
「みうらじゅんみたいになりたい」という言葉に
みんなで「分かる」とうなずき合う。
"みうらじゅんみたいになる。"
その一言は私たち就活生にとって、どこまでも魅力的なイメージを抱かせる。
(私と周辺の人だけ抱いてるのかもしれないけど)
「タモリ倶楽部に出る人になりたい」
「マツコの知らない世界とかね」
「でもなにを極める?」
「まだ誰も手をつけてないやつ…あ、私、高速道路見るの好きだよ」
「それすでにやってるし、お前タモリとかマツコの前で語れる?」
「…無理だね」
「あ~どうしよう。みうらじゅんみたいになるにはどうしたらいいんだろう」
「ね、なにを好きになったらいいんだろう」
これと同じような会話をもう10回ぐらいしている。
言っておくが、
あぁいう番組に出るような人は「好きになろう」と思ってなにかを好きになったわけじゃない。
のめり込むように、いつの間にか、なにかを好きになっていたのだ――……
ということは、分かっている。
分かっているけど、「あれ、私に語れるもの、ないな」という絶望から、
なにかを好きになろうという努力を定期的に発生させてしまう。
そして図書館で浮世絵の図鑑かなんか借りてきて、ちょっと読んで飽きる。
私はバカだ。
浮世絵を見て「きれい」と思う。好きだなと思う。
でもそれじゃみうらじゅんじゃない気がしてしまう。
語れないと……タモリさんの前で……と、無理して知識を得ようとする。
冷静に考えれば、できないに決まっている。
みうらじゅん。じゅん。みうら。みうらじゅん。
ほんと間違ってるというか、もうなにも知らねぇなお前って言われるの覚悟で、
みうらじゅんという言葉から想像されるイメージを言うと、
「自分の好きなことをのびのびやってお金をもらっている」
「自分自身がブランドになっていてかっこいい」
こういう感じだ。
もちろん、みうらじゅんになるには、
圧倒的なセンスや、たくさんの趣味や、文才、画力、人脈、
サングラス、いい感じのパーマなど、色々必要なことは分かっている。
分かっているけど……。私たちはどこかでいつも、みうらじゅんを目指している。
コラムとか書きたい。テレビにフラッと出てみたい。なんかのマニアになりたい。
そして、「みうらじゅんは就活でなるものじゃない」ということに
救いや可能性を見出しつつあるのが、今の状態だ。
なんかしてれば、みうらじゅんになれるんじゃないか。
ネットで文章書けば、大学で目立つようなことすれば、
なにか変な趣味を持っていれば、コレクションしていれば。
就活なんかしなくても、みうらじゅんに……!
だから私はいまいち自分の将来が見えない今日もへらへらと笑っている。
だってきっと、こうやって文章を書いていれば、みうらじゅんになれ…
ない。
なれないんだよ。なるにしたって急にポイッとなれるもんじゃない。
"「みうらじゅんみたいになりたい」と言ってる大学四年生"
この響きは絶望的だ。絶望的に何者にもなれなさそうだ。
みうらじゅんになるために必要なものを考えては、
自分の"なにもなさ"に心がボロボロと崩れていく。
あちこち探ってみても、簡単にみうらじゅん要素は手に入らない。
仏像も好きじゃない。ブームもいっぱい作れない。てかそういうことじゃない。
みうらじゅんを言い訳に使ってはならない。
自分のこの先の人生をちゃんと見ろ。
みうらじゅんか?そうじゃないだろう。
自分が今まで敷いてきたレールが、
伸びるべき方向へただ伸びているだけだろう。
そこから急にみうらじゅん方面へ切り替えようとしてみろ。
脱線事故だ。目も当てられないことになる。
でも、路線はいっぱいある。どこまでも行ける。
みうらじゅん駅がちゃんと見えたら、そっちへ走ってみよう。
なんだよ、みうらじゅん駅って。
全然見えねぇよ。助けてくれ。
コメントをお書きください
すげまほ (土曜日, 17 6月 2017 07:41)
みうらじゅん著「ない仕事の作り方」をおすすめします。あと、http://www.1101.com/job_study/jun/index.htmlも。
通りスガリ (水曜日, 21 6月 2017 14:28)
みうらじゅんてマイブームの一発屋芸人かと思っていたのですが、もっと偉い人だったのですね。
このブログ、ためになります。
わはは (金曜日, 01 2月 2019 01:05)
面白かったです。みうらじゅん駅が見えたら私もそこに行きたい。
いふー (土曜日, 17 8月 2019 23:48)
沁みます。
何者かになりたくて、何にもなれなかった30代にも染み入ります、この文章。