小学生の頃、「授業で使う裁縫セットをこの中から選んでね」と
先生から配られたプリントを見て、
私が一番に思ったのは「みんなとは違うやつを選ぼう!」だった。
ハート柄の可愛いヤツ、
人気キャラクターのイケてるヤツ。
「あ~、みんなはこういうのを選ぶだろうな」と思い、
私が選んだのは、決して流行りではない、
そんでもって別に自分で「これがいい!」と思ったわけでもない、
四つ葉のクローバーのイラストでデザインされた、
黄ミドリ色の裁縫セットだった。
”それを選んだのがクラスで私しかいなかった”からとても満足だったけど、
とうとうそれを心の底から気に入ることはなかった。
「ゆうじ君とみつる君だったらどっちが好き?」
という話題で、
みんながゆうじ君と言うならば、私はみつる君と答えた。
ゆうじ君の方がかっこいいし好き、と内心思っていても、
「だって、みつる君面白いじゃん」と言って「え~マジ?」とみんなが反応すれば
満足だった。
「うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、どっちがマシ?」
という話題で、
みんながうんこ味のカレーと答えたらならば、私はカレー味のうんこと答えた。
絶対にカレー味のうんこなんて食べたくない。味はどうであれカレーの方がマシだ。
と内心思っていても、
「カレー味だったら、カレーだって思いながら食べられるじゃん。うんこでもさ」などと言って
「え~、嘘~!」みたいな反応を得られたら、気分がよくなった。
みんなとは違うものを選び続けることで
「自分」がどんどん強くなっていくと思っていた。
根底にあるのは、
みんなが好きなものを好きになって、
同じ土俵で戦っても、私はどこかで負けてしまうだろうという、
友達もいない、容姿にも自信が無い、
頭がいいわけでもない、面白いことが言えるわけでもない、
校庭の石を拾ってビンに入れてマジックペンで「ともだち」と書いていた、
クラスの中で弱モノだという自覚のあった私の、
自分が一番強い土俵を手に入れたいという意地だったと思う。
土俵に自分しかいなければ、勝ったことになると信じていたから。
単なる不戦勝なのに。
最近、よく中野ブロードウェイに行く。
学生のときに、漫画とかアニメのグッズ、
あと古いおもちゃとか変わったソフビを見ては、
「わぁ~、どれもこれも欲しい。社会人になったらお金握りしめて来よう!」
と思っていたから、
社会人になった今、よし、色々買ったるぞ!と思って
暇なときに行くようになった。
毎回、なにも買えずに「あれ?」と思いながら中野ブロードウェイを練り歩くことになる。
中野ブロードウェイには素敵なものがたくさん売っている。
だからこそ、「欲しい」とお金を払って買いたいものを見つけられない自分に焦る。
みうらじゅんの缶バッチとか、ドラえもんがシンバルを叩き続けるおもちゃとか、
動かなさそうなファービーとか、寿司の柄の服とか、あるんだけど、
全部、「好きな気がする」
「これを買ったら、変わったもの買ったねとみんなに言われて、満足する気がする」
というところで留まって、終わってしまう。
電車の模型、海外のゲーム、スピリチュアルな古本、
「誰かにとって好きなもの」を眺めながら考える。
社会人になって、
いろんな“変わった”人と会って、素敵だなと思う中で、
「個性的」「変わっている」ということが、別に、
“みんなと違うものを持っている”とか、“みんなが選ばないものを選ぶ”とか、
そんなもので形成されていくわけじゃないんだとだんだん気付いた結果。
“「個性的」「変わっている」から欲しかったであろうモノたち” を見ても、
買えるほど好きじゃなかったんだな……と分かり始めた。
そうなると今自分が好きだと思っているものの、全てを疑う。
私はピンク色が好きだ。
もとはオードリーのファンで、春日さんが身に着けている色だから、
自然とピンクのものを集めるようになった。それが今も続いている。
なにかを買うとしたら絶対にピンク色を選ぶけど、
それが「好き」だからか、「自分の個性」と思ってるからか、
私にはもう分からない。
私は日高屋が好きだ。
う~ん、これは疑いようがない。好きだ。行きたい!
でも別に、日高屋に行くたびにツイッターに呟くとか、
そんな風にして自分の個性に「仕上げる」必要はあったのかな、と最近思う。
けどいろんな人に「日高屋行く?好きだよね」と言ってもらえるのは嬉しい。
私はお笑いが好きだ。
と思ってたけど、仕事上、周りの人たちのお笑いへ対する知識量を見ていると、
自分は特別、お笑い好きとは言えないかもしれないと思うようになった。
知識量の問題じゃないかもしれないけど。
私はドラえもんが好きだ。これは本当にそう。
私はファミチキが好きだ。でもこれは「また食べてるの?」って言われるのが好きなのかもしれない。
私はエビが好きだ。寿司屋に行ってもほぼエビしか食べない。これは「変」と言われるけど本当にそうしたくてしている。
私は子供用みたいなアクセサリーが好きだ。でも「変わってるね」と言われそうなデザインを自分から選びにいっている気がする。
私は銭湯が好きだ。ハイボールが好きだ。古着が好きだ。
電車で遠くに見えるパチンコ屋のまだ光ってないネオンの看板が好きだ。
ビタミンCのサプリのグミが好きだ。油そばに入ってるカリカリのにんにくが好きだ。
プレーリードッグが好きだ。一面だけに日光が当たってるアパートが好きだ。
松田龍平が好きだ。長髪の時が一番好きだ。一回でいいからハンバーグとか一緒に食べたい。
地下鉄のホームのにおいが好きだ。西友が好きだ。おいしいお惣菜を夜中までありがとう。
ダイエーのパンツ5枚セットが好きだ。ごはんおかわり無料が好きだ。
本当に好きかはもう分からない。
より個性的だと思うものを選ぶ癖だけがついてしまっているから。
個性的という言葉さえおかしい。
大多数に選ばれるものは個性がないとは全く言い切れない。
人気キャラクターの裁縫セットを選んでようが、
ゆうじ君を好きと答えてようが、
うんこ味のカレーを食べたいと答えてようが、
それが私の本当に選んだものだったなら、ちゃんと個性だった。
あのとき、本当に心の底から、
四つ葉のクローバーのデザイン使ってたら幸せになれそうだな。
と思って選んでたなら。
みつる君はこの前ドッチボールで私が外野になっちゃったときに戻れるようにボールをパスしてくれたからちょっと好きだな、と思ってたなら。
うんこ味のカレーは、
カレーをうんこの味に近づけるために何を入れてるか分からないから怖くて嫌だけど、
カレー味のうんこは、
カレーをたくさん食べた人のうんこってだけな感じがするから安全そうだよね~
と本当に思ってみんなにそう説明できていたなら……
それが自分だし、
それが人とかぶってようがなんだろうが個性だった。
ということを、中野ブロードウェイを延々とぐるぐるしながら、考えた。
まぁ、個性的だなと思う方を選び続ける習性すらも
私の個性と言えるのかもしれないけど、
確かに好きだと思えるものをたくさんたくさん見つけたい。
そしてそれを個性的だねと言われたらびっくりすればいい。
びっくりしつつちょっと喜ぶと思う。
個性的だねって言われたい気持ちは別に変わってないから。
はずかしながら。
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もなか (日曜日, 18 8月 2019 01:08)
思ってたことそのまんま言語化してもらったようなお話で、終始頭を縦にふりながら半泣きになってました
ありがとうございました
山田 (月曜日, 19 8月 2019)
私は「姉と被ってはいけない」という習性で生きてきました。
ハイチュウのグリーンアップルの方が好きだったけど、グレープの方が好きだと言ったこと、
きのこの山が好きと言ったこと、
ガマくんとカエルくんならガマくんと言ったことを思い出しました。
姉のいない学校では、グリーンアップルが好きだと言っていたし、カエルくんが好きと言っていました。
男っぽい姉に憧れていたので、最終的に学校では男の子が選ぶ黒地に炎の描かれた手芸セットを購入しました。
いつしか、それが高学年、中学になり他人と違うことを恐れるようになりました。
今でも、他人のことばかり気にしています。
他人の目を気にして、合わせまくってる人も個性的だなと凪のお暇を見ながら思ってます。
だから、こんな文章が書けるちまきさんは本当に個性的ですね。素敵です。
た (月曜日, 26 8月 2019 17:22)
そうしなきゃいけない
という概念で物事を決めてきました。
もっと自由に自分自身がどうしたいのか素直に考えられたら
違っていたのかな?
色々なしなきゃを重ねていった結果
自分の本心がどこにあるのかがわからなくなって
感じることがリアルなのか脅迫概念なのかがわからなくなってきた。
意外と自分ってなんなのかを知るのって整理が必要なんだなと
感じる今日この頃です。
まだまだ凝り固まっていることが多くて
この文章を見て
改めてこんな考え方もありかもな、と思いました。
名前を入力してください (火曜日, 08 10月 2019 15:33)
意地張ってないで少しバカになればいいんだよな。
分かってはいるけどクセになっているから素直になれない。
疲れるよね。
てんてん (金曜日, 11 10月 2019)
カレーは何入れても良いのだから、うんこ味のカレーはうんこ入りの可能性が高いですね。大嫌いな人が作ったカレーより、大好きな人のうんこが食べたい人もいますしね。ダイバーシティって、海の中にあるダイバーの溜まり場だと思っていましたが、どうやらそうじゃないみたいです。
今度ハンバーグ食べに行きましょう。