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【短編】大野のトマト

「お前が好きなのは、ヤクルトおばさんなのか、

ヤクルトおばさんがくれるヤクルトなのか、どっちだろうな」

 

 

 

10年前に父親に言われた言葉を、ふと思い出すことがある。

 

ミルミルを飲みながら、

「明日もヤクルトおばさん来ないかな。毎日来てほしいな~」とつぶやいた小学生の僕に、

「そんなにヤクルトおばさんのことが好きなのか」と父親が聞いてきたので、

「うん!大好き!」と答えたあとに放たれた言葉だ。

 

僕はミルミルをいったん口から離し、「え?」と聞き返したが、

父親もヤクルトの蓋に爪で穴を開けて飲み始めていたので、

何事もなかったかのように僕もまたミルミルに口をつけた。

 


そのときは意味など分からなかったが、最近、考えることがある。

 


僕は以前、刺身屋でバイトをしていて、そこの店長がよく余った刺身をくれたのだ。

そのバイト先のことも、店長のことも大好きだったが、

ある日から、経費削減で仕入れる魚の量が減って、余らなくなった。

 

そのため、僕は刺身をもらえることもなくなったのだが、

するとあら不思議、別にバイト先のことも店長のことも、前ほど好きではなくなった。

 

頭の中で父が言う。

「お前が好きだったのは、バイト先なのか、バイト先で余る刺身なのか、どっちだったんだろうな」。

 

 

週6で入っていたそのバイトを辞めると、暇になったので、大野と遊ぶことが増えた。


大野は、元自転車部の同期だ。

自転車を漕ぐわけではなく、自転車屋や駐輪場に行ったりして見た自転車について感想を言うだけの部活だったので、

弱虫ペダルに影響されて入部した人たちが怒ってごっそり抜けていくという繰り返しで、今はもう廃部した。

僕たちは今、シール部に入っている。仲がいいのだ。

 

ある日、山手線でやってる全然知らない戦隊モノの全然いらないシールをもらえるスタンプラリーに参加しているとき、

大野が駅のホームの自販機でヤクルトが売っているのを見て「100円で2本出てくるんだって、チョー得じゃん」と言った。

 

そのときにも、父の言葉がフラッシュバックした。

 

大野は、両親がトマト農家で、しょっちゅう大量のトマトをくれる。

「送ってくるんだけど、こんなに食えなくてさ」と言って袋いっぱいに渡されるそのトマトが、やたらうまい。

よくテレビでトマトを丸かじりした芸能人が「甘~い!果物みたい!」と言ってるが、

大野のトマトには甘さよりも酸味がある。その酸味がうまい。

野菜も果物も等しく尊いものなのに、野菜に向かって「果物みたい」と言うのは、果たして褒めているのか?

大野のトマトを食べてみろ。野菜として、トマトとしてうまいんだ。

甘いトマトもそれはそれでいいだろうが、大野のトマトはすっぱくてうまいぞ。大野のトマトは…。

 

 

僕は、ヤクルトを1本渡してくれる大野の手をじっと見ながら、考えていた。

 

「僕が好きなのは、大野なのか、大野がくれるトマトなのか、どっちだろうな」。

 

 

すると大野がヤクルトの蓋をペリリと剥がし始めたので、

「なにしてんの?こうやって爪で穴を開けて飲むんだよ、そのためにアルミホイルみたいな素材になってんだよ」と教えると、

「行儀悪いな!」と怒られた。

父がずっとそうしてたんだ、と反論すると、

「父親も行儀悪いな!おかしいんだよお前は!刺身屋とか意味わかんないとこでバイトしてたし!おかしいんだよ!」と急にブチ切れられた。

家族もバイト先も否定され、「なんだよ!トマトくれるだけだ、お前なんか!」と、飲み切ったヤクルトを握り潰した。

 

大野は、悲しそうな顔をした。

その後のスタンプラリーは、お互い一言もしゃべることなく、淡々と進めることとなった。

 

僕が好きなのは、大野なのか、大野がくれるトマトなのか、どっちだ…。

答えは出ないまま、

手に入れた戦隊モノのシールを、2人でシール部のノートに貼り付けた。

最悪な時間だった。

 

 

大学が冬休みに入り、僕は実家に帰った。

冷蔵庫を開けると、10年前と変わらずヤクルトとミルミルが入っていた。

 

「まだヤクルトおばさん来てるの」と、ソファに座って新聞を読む父親に聞くと、

「あぁ。人は変わったが」と答えた。

 

「どういうこと、凶暴になったの?」

「違う。お前が家にいた頃のヤクルトおばさんじゃない。新しい人になった」

「あぁそう。あの人好きだったけどな」

「お、やっぱりそうだよな」

 

やっぱり?


10年前に、

ヤクルトおばさんか、ヤクルトおばさんがくれるヤクルトが好きなのか問うてきたような父親が、

あっさりと僕のヤクルトおばさん自体への愛を認めているではないか。


「いや、お父さんさ、ヤクルトおばさんかヤクルトおばさんがくれるヤクルトどっちが好きなのか聞いてきたことあったじゃん

「あぁ、あったな」

「今、あの言葉がきっかけでずっと悩んでんだよ。バイト先じゃなくて刺身が好きなのか、大野じゃなくてトマトが好きなのかって、考えちゃうんだよ」

「なに言ってんだか分からんが、」


父親は立ち上がり、冷蔵庫のヤクルトを取ると、相変わらず爪で蓋に穴を開けて飲み、


「父さんは、ヤクルトもミルミルも好きじゃない」

と言った。


「え?」

「ヤクルトおばさん…いや、今はヤクルトレディと呼ばなければならない時代」


飲み干したヤクルトをゴミ箱に捨て、

父親は続ける。


「父さんは、ヤクルトレディがやたらめったら好きだ。ヤクルトレディに会いたくて、ヤクルトを注文してる」

「え?

「あれは、お前も仲間なのか確かめたくて聞いたことだ。」




"ヤクルトおばさん自体が好きなら、やっぱり血が繋がってる。性癖は似るんだな。"



父親の、そんな独り言のような言葉を飲み込めないまま、

僕は実家から帰る新幹線に揺られていた。


なんだよそれ。


小学生の僕に性癖確かめるなよ。

母さん悲しむぞ。

いや、母さんも、運動嫌いなのにコーチがイケメンとか言ってプール通ってるわ。

そういう僕も先生がタイプとかで、とりたくもない授業選んだりしてるし。

結局家族じゃねぇか。



車窓から見える富士山をボーッと眺めていると、

あの日以来会ってない大野から、ラインが来た。



『両親、農家やめたらしい 。地元で使わなくなった漁船を改装してカフェ開くんだって。もうトマトあげられない。ごめん。』



僕はホッとした。

そのラインを見て、もう大野のトマトが食べられない悲しさより、

大野がラインをくれた嬉しさが勝っていたからだ。


『最近の世の中、なんでもカフェにすりゃいいと思ってるよな。』と返した。


大野は、

『てめー、両親の事業を最初から否定すんじゃねぇ』と怒ったあと、

トマトが笑っているスタンプを押してきた。



安心してお腹がすいたので、

車内販売のお姉さんからアイスを買った。


「硬いのでちょっと溶かして食べてくださいね」


言われた通りに少し溶かしたそのアイスがやたら美味しくて、

新幹線を降りてから、車内販売のお姉さんの顔を思い浮かべた。



今ちょっとあのお姉さんのことが好きだが、

それはあのお姉さんから買ったアイスがうまかったからだろうか。




いや、単純に顔が好みだった。


10年前のヤクルトおばさんも、

話が面白くて好きだった気がする。




改札を出たとき、新幹線の車内に、大野へのお土産であるご当地シールを忘れたことに気がついた。


まぁいいか、あいついい奴だし。







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コメント: 5
  • #1

    まる (火曜日, 11 12月 2018 22:13)

    すきです

  • #2

    はなやしき (火曜日, 11 12月 2018 22:37)

    おもしろいです。
    あぐ味さんが好きなのか、あぐ味さんの作る笑いが好きなのか

  • #3

    カイ (火曜日, 11 12月 2018 23:50)

    ちょっと意外な展開で面白かったです!

  • #4

    ストレッチ (水曜日, 12 12月 2018 16:28)

    ヤクルトおばさんのくだり、考えさせられました!
    私もヤクルトのことは好きだと思っていましたが、実家に毎週くるおばさんがくれるから好きだったのか上京してから全く買いません。実家に戻った時だけ、飲みます。
    そんな些細なことを提起してくださるところに感銘を受けます

    また書いてください!

  • #5

    でんぼ (木曜日, 13 12月 2018 18:10)

    ナイスな創作小説でとても面白かったです。